裁断

ある程度予測できる未来と、まったく予測できない未来。

10年後の日本…高齢化がさらに進む。
20年後の日本…格差社会、超高齢化社会、環境問題の悪化
30年後の日本…。。。

10年後の私…36歳。どこで何をしているのか分からない。
20年後の私…46歳。生きているか死んでいるかすら不明。
30年後の私…生きていれば、56歳。

悠久の時間が流れて、60億人の人間が動かす地球と、
1人の人間の小さな体と小さな頭で考える未来。

地球の未来は経験則から近未来を予測する。
人間の未来は、典型的なモデルから、自分の将来像を類推する。
そのための情報はいくらでも蓄積されている。
情報に沿えば、きっとだいたい、典型的なモデルに近づくはずだ。
そういう人を、順風満帆に生きている人、というのだろう。
だけど、そうでない人もいる。どこかで感情が邪魔をして、
もしくは感情が麻痺して、計画が破綻している人。

そういう人は、人間的に残念だけど、おおらかで面白い。
空気を吸って、吐いて、生きている感じがする。
情報を食べて、情報に沿って、情報の上を生きているのではなく。



もしかしたら、だいたい予測できそうな未来を生きる予定だったのが、
発車直前で飛び乗っちゃったもんだから、いったいどこに向かうのか
分からない電車に乗ってしまったような、選択をした。

だから、10年後の未来がまったく予想できない。
20年後なんか生きてるのか死んでるのかすら分からない。

でも、ある程度予想した枠組みの中で、現在の自分を位置づけたり、
ある平均値から現在の自分を比較すると、それはいつまでも
くだらない悩みに換わってしまう。

だったら、何も考えずに、分からない中で一生懸命生きることのほうが
どれほど毎日がキラキラしているか。

空気を吸って、吐いて、生きればそれでいいのであって、
情報に滑ったり、惑わされたり、踊らされたりする必要はない。

未来は、予測の中にあるのではなく、
今この一瞬の積み上げが、未来に変わるだけだから。


道は、自分が足を踏み出す、その場所にしかない。