ドロップアウト


時間の流れがよく見えない。
ただ何らかの社会の時間のような高速で流れる時間と、私が歩んでいる時間がある。
私の歩みと社会の時間は両立しない。
こっちが巻き込まれるか、あっちにつっこむか。



ふらふら中国から戻ってきて、この流れに身を任せた。
そうすると、いったんは早すぎる時間に気を取られながらも、
その社会時間を構成するものが眺められて、さらにその一員になったことによって、
そこで何かが個人的ではなく、全体的に動くことがおもしろかった。
何かのままごとに参加したような感覚。



ところが、時間に身をゆだねすぎて、
こちらは参加したような感覚でいたはずのことが、
いつの間にか、システムの一部として組み込まれつつあった。

気づいたら、蟹工船。時給換算すると600円をきる勢い。
働いても働いても収入が増えないいわゆるワーキングプア
若いからとあごで使われまともな仕事をさせてもらえない奴隷状態。
その老板ときたら、ラーメン頭のブルドック顔の、脂肪を蓄えた生きた化石(おばさん)!

最初は生きた化石も歴史的な標本として若干神々しくみえたことも否めないが、
仕事の意味を問えば、「若いから」とか、「不景気だから」とか、
曖昧な言葉でしか片付けられず、むしろそんな議論を吹っかける私を天邪鬼扱いして、
ますます仕事を与えようとしないみみっちさに、切れました。



勢いで、3ヶ月で、仕事やめました。

会社が、制作プロダクションで、下請け業務が大半だったから、
仕事が細分化されて、ある部分の一工程だけを短期間で仕上げなければならない。
そうすると、全体で今何が進行しているのか、そもそも何がしたいのか、
何のためにしているのか、さっぱり見えません。

それでも、何らかの意義や意味を見出さなければならないのだろう。
ここでこらえないと、次もこらえられないのだろう。
そういう気持ち1つで奴隷状態を耐えてきたけれども、

ラーメン頭おばさんの、「若いから分からないんだ」とか、
「それが仕事なんだ」とかいう、わけのわからない答えで、すべてが崩壊しました。

この、生きた化石に、私の命は預けられない。
こんなババアにお仕えすることは、とうていできない。
そんなやさぐれた気持ちで、飛び出してしまいました。

今はまた、浅草のルンペンに逆戻り。



住んでいるゲストハウスで働く何人かの女性も、同じような悩みに直面している。
自分が、仕事で、何をしているのか、よくわからない、ということ。

この3ヶ月、社会の底辺で生きて分かったことがあります。
流れにのまれるか、逆らうか、なのだろうと。
のまれたら、このまま得体の知れないどこかに運ばれてしまう。
その流れから脱出するのは、自分の意思でしかない。

中国で生きて、「日本」に入ろうとしたけれど、そういう入り方はしたくない。
目隠しされたままどこかに運ばれてしまうような、入り方は。

という意味で、かなり早いですが、ドロップアウトします。
次の場所はどこでもいい。ただ自分の矜持さえ保てれば。

また、どこかに飛んでいきそうな気がします。