この二ヶ月


毎日仕事から帰るのが深夜になり、帰り道は雷門をくぐって

浅草・仲見世浅草寺境内を縦断する。

日中や休日は人で渋滞するこの場所も、深夜になると、ほぼ人がいない。

ライトアップも終わっている時間帯なので、

きれいに街灯がつけられている仲見世通りだけが、明るい。

雷門から観音様まで、500メートルぐらい、まっすぐ、伸びている。

周りには誰もいない。この瞬間、この500メートルは完全に私1人のものになる。

人の熱気が冷めて、冷気が、神秘さを増す。

空に向かってのびる婉曲した浅草寺の屋根が、

熱気を吸い上げてそのまま空へ発散させているようだ。

屋根は空とつながっている。

そこから神聖な世界と交信して、人々の願いを吸い上げている。

暗闇には一点の生気もない。

怨念も、希望も、怨嗟も、夢も、人間が持ってきたあまたの想念が、

すべて浅草寺の屋根の婉曲が吸い上げて空へ飛ばしている。

まるでこの世の不幸も幸せも全部請け負って、

その塊を花火のように散らすかのように。

花火の終わった暗闇が神聖さを取り戻して、

また明日たくさん押し寄せてくる人間の想念を受け止める準備をしているかのように。

その浅草寺の前に立つと、私が望もうと望むまいと

私の小さな悩みも吸い上げて、花火のように打ち上げられる。

軽くリフレッシュしたような爽快さを味わうとともに、

神秘さの前に際立つ人間の矮小さに苦い気持ちを感じる。




そうやって毎日浅草寺と対峙している。

自分の小ささを思い知る毎日。

休みがほとんどなく、残業ばっかりで、ほぼ終電。

仕事に埋もれてデザイナーとしてデザインしているのか、

仕事としてやっつけようとしているのかどうか、

自分でもよくわからなくなる。

福利厚生とか、労働者の権利とか、そういうものも頭をよぎる。

だけど、私はそんなに偉いんだろうか。

こんな小さな1人の人間にどれだけの権利があるんだろうか。

人間の権利とか、尊厳とかですら、よくわからなくなる。

人身事故が起こったと聞けば、それはある1人の人間の死というよりも、

交通マヒの一因と認識してしまう。

毎日吸い込まれて吐き出される満員電車に乗っている人たちは、

「黒い物体」のような認識しか持てない。

毎日いったい何人の人間とすれ違っているのだろうか。

なのにいったい何人の人間を人間と認識しているのだろうか。

1人でも人間だと認識した人間がいるだろうか。

あまり自信がない。

そういう自分も人間なのか物体なのかもはやわからなくなってくる。

かろうじて、自分の手を見て、自分の足で歩いて、自分を取り戻す。

それでも時間は過ぎていく。いろんなものが私の傍らを通過していく。

いちいち認識していたら追いつけない。

あらゆるものをコード化し物質化しないと、情報にうずもれる。

手の中からこぼれていく時間をすくいとれない。



時の流れが速すぎる。

いちいち時間を決められているから、ベルトコンベアーに乗って

そこから落ちないように一生懸命走っているみたいで、疲れる。

まだ2ヶ月たってないのにもう疲れた。

仕事よりも、東京に疲れた。

そんな高速社会の中で、人が緩やかにつながって、高速で仕事が進行している。

この時間の早さの原因は仕事のようだ。

日本で仕事を始めて、初めて、社会と対面した。

社会という存在を、テレビやら新聞やらなんとなく感覚的には知っていたけれど、

それを肉眼で見て、なおかつ社会を形成する一員になったのは初めてだ。

中国にいたときは遠くからそっとのぞいていただけだったものが、

今はのぞかれていた側にいる。

前は、自由自在に適当に生きても何の責任もなく誰にもとがめられなかったけれど、

今は何をしても社会性がついてまわる。

なにかにがちがちに縛られて完全に包囲された感じがする。

社会保険庁から国民年金の督促電話なんてものまでかかってきた。

どこで、何をしても、国家権力だけでなく、社会という目に包囲されている気がする。

自分が何をしたいか、などそんな小さなことは、社会性の前に無効になる。

デザイナーとして私はどういうデザインをしたいか、なんてことは誰も必要としてなくて、

デザイナーという社会的条件を満たし、

その上で、社会的要請にこたえられなければならない。

それがプロとしてデザイナーを名乗ることの必須条件。

社会的条件とは、今のデザインに至る歴史を継承すること、

社会的要請とは、社会がデザインに求める欲求ではなく要請を認識すること。

後追いでは無駄なものを増産するだけで、先回りしないと意味がない。

先回りするためにはどうしたらいいのか。

社会的な力を身につけること。デザイン力を身につけること。

判断力、知的体力、精神力、審美眼、知識のストック…、

やらなければならないことがたくさんある。



今何をすべきなのか、というか、何ができるのか。

それをどう積み上げて構築できるのか。

毎日職場と浅草を往復するだけだけれども、

その中で、社会の中に組み込まれ、それがくっきり見える中で、

個人としての無力さを痛感し、だからこそ、なんとかして

これを突破しなければならないと思う。

東京で突破できたら、どこでも行けそうな気がする。