政変
会社で政変があった。
10年近く会社のトップに君臨していた2人が、新しくできる子会社に異動になった。
1人はグループ会社の取締役にも名前を連ねていた。
でも、新しい子会社では、何をやるのかまだ何も決まっていない。
実質上、更迭と見られる。
今、遠藤周作『反逆』を読んでいる。
織田信長に仕える家臣たちの反逆の心理を追ったものだ。
ちょうど、織田信長の父親の代から仕えてきて、比叡山、本願寺、一揆などと戦ってきた織田家の老臣・佐久間信盛が、明智光秀や羽柴秀吉たちの活躍に比べてあまりにも無為無策なことをなじられ、追放されたくだりを読んだ。
佐久間信盛は、50年間織田家に仕えてきた老臣だが、よくみると、やってきたことは謀反や一揆の処理ばかりで領土拡大にかかわる仕事をほとんどやっていない。その処理もけっこう手間隙がかかっている。
でも、裏切り者の多い家臣の中で、厳しい信長の下で彼をしっかり支えてきたことは確かである。
ふと、会社の政変と重なった。
更迭された2人は、今の会社を立ち上げて、それなりの形を作ってきた人たちだけれど、発展した今、どう会社を持っていくかということに関しては無為無策だった。
でも人の流動の激しい上海において10年間この会社を支えてきたことは確かだ。
上海で働いていると、ひしひしと実利主義的なものの考え方を感じる。
年齢とか、経験とか、性別に関係なく、その会社にとって有用な人間が評価される。
自分のような未経験・新卒で入社した人間にとっては、仕事のやりがいが大きい。
かといって、日本で経験した人が能力を発揮できるかといったらそうでもない。
日本で働いたことのある人は、自分の経験値で物事の是非を判断する。
だけど、ここでは今その場で必要としていることが求められるのであって、
それは日本社会の経験に裏づけされたものとは限らないことが多い。
その人がどんな鎧をかぶっていようが関係なく、今必要な結果を、利益を、お金を求められる。
だから、“会社にとって”有用な人間は重宝され、そうでない、もしくはそうでなくなった人間に対しては冷酷だ。
そしてその基準が、とても刹那的だ。
過去の経験とか、忠節とかよりも、今お前は何ができるのか、ということに重点が置かれているようだ。
今だめだったら捨てる。今必要な人間を獲得する。
その自転車操業的な、刹那的な、機械的な実利主義が上海の急速な発展を支えているような気がする。
そこに人間的な温かみとか、仲間意識とか、人材育成とか、たとえばものづくりに対するこだわりとか、そういう実利的でないものは排除されている。
日本では仕事と生活が半ば運命共同体のように一体化しているから、今格差社会が進行しているとか、成果主義を導入する会社が多くなったとか言われるけれども、それでも、ここまでではないと思う。
徹底的な実利主義なら、短期的にはお金を稼げるかもしれない。
でも、それを長期的にどう社会に根付かせていくのだろうか。
ずっと人も物も使い捨てなのだろうか。
会社の方向性が見えないように、仕事のやりがいは感じているとはいえ、やはり日本人なので、急速に発展する上海の未来についても初めて大きな不安を感じた。