日雇い労働を通して「労働」を考える

日雇い派遣労働」というものを、生まれて初めて体験しました。

服飾関係の棚卸し作業1日、お菓子の箱詰め作業1日、計2種類2日です。

ほかに試食販売の仕事もしましたが、これは置いときます。



日雇い労働を含め、派遣とか、非正規社員というのは、

今日、格差社会を説明する一種のキーワードになっているように思います。

情報漏えい禁止事項に一応サインして印鑑も押したので、

詳しく書くことはできませんが、

私がその現場にいて思ったことは、とても「お手軽」だということです。

働く側も、働かせる側も。



働く側(私)は、とりあえず今現在お金が欲しい。

だけど、長期期間は働けない。だから、短期バイトをネットで探して

ポチっとクリックして、仕事をゲットする。

派遣の登録が必要な場合もあれば、そのときに身分証明書のコピーを

もっていけばいい場合もある。

働かせる側はその日にやってくる労働者を物のごとく扱う。

仕事の簡単な説明や、必要な持参物などの説明はあるけれど、

なぜこの労働をしなければならないか、ということや、

自分が今現在何のプロジェクトにかかわっているのか、そういう説明はなく、

今目の前にあるものを動かせ、とか、ラッピングをするとか、

動作の説明のみがなされ、常に悪意の目で監視される。

たとえばベルトコンベアーで流れてくる商品を箱詰めする指令で、

物が流れてこない1分間、手持ち無沙汰にしていると、

暇そうだからと別の仕事をその時間にやれとさらに指令が下る。

私が遭遇した現場で命令を出す社員は、業務の最効率を考えての指令ではなく、

今日派遣されている労働者たちをいかに物的に動かすかということに

重点が置かれているので、命令が前後左右することもあり、

逆に仕事の能率を下げてしまうこともあった。



労働者はとりあえず物的に動いていればいいので、

そこに各人のその仕事に対する大きな責任は発生しない。

もちろん、働かせる側も、責任を負わせる気がないから、

必要最低限のことしか教えない。

期間限定労働者だから、簡単に入れたり切ったりできる。

働く側も、前日にキャンセルするのはご法度だが、それまでならキャンセルできる。



これが「お手軽」労働だと思った要因です。

「お手軽」労働によって、熟練労働者へ成長するという可能性は低いし、

責任のない仕事はその人間の潜在能力まで引き出せない。



逆に、「お手軽」だからこそ、働く側も働かせる側も含めて

社会が必要としているのだろうし、その領域が広がっているのだろう。



だけど、それが格差社会のキーワードだとしたら、何かがおかしい気がする。

ワーキングプアを生む温床になっているのだとしたらますますおかしい気がする。

社会が用意しているいくつかの選択肢を選んでおいて、

いったん機能不全になると、社会に対して自分を守れと主張することは、

ただ社会に対して自分が盲目的なだけじゃないのか、と思う。

社会とは、一人ひとりの人間が作り上げるものであって、

なにものかが作ったものを提供している空間ではないはずだ。

だとしたら、お手軽なものを選択したという一つ一つの行為が

社会を形成していくわけで、それが直接自分に帰ってくるのは自明の理なのに。



「お手軽」に、「便利」に、得られる労働の対価は、

そんなに安いわけじゃない。日給1万円以上のときもある。

だけど、その効用は限りなく貧しい、ということを身をもって体験しました。



べつに正社員がいいと言っているのではなく、正社員だったとしても、

労働に対する態度が貧しければ結果は同じことだろうと思う。

その労働に真摯に取り組まなければ、労働の意味さえ見えてこないだろうし、

なにものも身につけることはできないんだろう。



1月から働く会社は小さいし、時給や待遇は派遣社員以下ですが、

その労働が持つ意味にたどり着けるような仕事ができれば、いいなと思います。