上海という新世界

ここ最近、ほとんど会社に缶詰状態です。
寝るか、仕事をしているか。忙しい。

日本のインターネットサイトで、西安黒龍江省で反西欧デモが起きていることを知りました。
北京オリンピックの開会式に出席しないことを表明している国が増えていることも。

中国にいるのに、たぶん日本人よりも中国で起きていることを知らない気がします。

普通に外資系スーパーでフランスのハムを買って、イギリス食パンを買って、
スターバックスでコーヒーを飲んで、
お昼ごはんは日本食レストランか、イタリアンで、
会社では日本のデザインを研究して、
日本語雑誌をつくって、日本の感覚の広告を作っている。
家では日本のDVDを見て、
家の水亀に乾燥わかめをあげている。

誰もいなくなった会社の中で、ふと、上海っていったいどこなんだろうと、思います。

ほかの地域でデモが起きたと知ると、上海ではたぶんないな、と感じます。
上海は中国の一部でありながら、世界の実験場。
街づくりとか、発展の方向性にどうしても現地の人間の必要性を感じられません。
郊外に山を切り開いてニュータウンを作るみたいに、
先進国が新しい場所を求めて上海を切り盛りしているというか。

現地の人間はそれに沿って、受け入れることが上海のあり方そのもののような気がするのです。
租界からスタートしたから、それが上海の風土なのかもしれません。

だから、ここでデモはあまり起きないような気がします。
西安黒龍江省もおなじ中国だけれど、すごく遠い世界で起こったことのような気がするのです。

やはり、上海にいると、中国というよりも、外国というよりも、
発展のスピードのせいでしょうか、それとも国際化のせいでしょうか、
何か新世界にいるような気がしてならないのです。

日本っぽい

デザイナーになってもうすぐ2年になる。

デザインの教育も受けず、そういう関係の仕事もしたことがなく、
上海で初めてデザインの仕事を始めたので、
とにかくすべてが見よう見真似だった。

日本語雑誌を作っているので、とりあえず「日本っぽい」デザインを真似た。

こないだ、そのデザインがとても「日本っぽい」とほめられた。

2年間ひたすら「日本っぽい」デザインを目指して、
「日本っぽい」デザインが作れるようになったのだけれど、

改めてそれを見返すと、いいようのない嫌悪感に襲われる。

それは「日本っぽい」だけであって、中身がない。

ただ上品に、無難に座っているだけの、のっぺらぼうな感じがした。

それはたぶん、上海にいる自分を暗示しているような気がした。

ただ、上辺にそっと無難に座っているだけ。






杉浦康平さんの『アジアの本・文字・デザイン』を読んでいます。

書いてあることが難しすぎて、よくわかりません。

でも、心にガツンときました。

タイポグラフィーに興味があるのですが、

今まで私は文字を文字として扱わず、記号としてデザインしようとしてきた。

だからアルファベットだとうまく作れるけど、日本語とか漢字とか使いにくくて、

その文字が含む意味を捨てていた。

でも、日本語や漢字は英語と違う。とりわけ漢字は線とか点で意味がある。



今、東洋の中心にいるのに、西洋的な解釈で文字を料理していた。

いまさらながら文字の存在意義を考えたことがなかった。

だから、のっぺらぼうだったのかもしれない。


デザインには一定の潮流があるというのはなんとなくわかる。

でも、東洋には東洋のデザインがあるというのは考えたことがなかった。




2年間自分が模倣してきたのは、誰でも知っている日本の有名な雑誌とか、日本の有名なデザイナーとか、

そういう価値観であって、ほかのものさしはあまりなかった。

なんとなくありそうなかんじでつくって適当にごまかしていた。




杉浦康平さんの本を読んで、自分がいかに適当にデザインに向き合っていたか、思い知らされました。

自分が見ていた世界がどれだけ狭かったか、ということも。


もっと大きな世界に出てみたいです。

わびしさ

ピアノを開ける。
何の気はなしに「ミ」と「ソ」を押す。

寂しさと切なさの中間、わびしさが広がる。
「ド」と「ミ」でも、「レ」と「ファ」でもいけない。
「ミ」と「ソ」が一番わびしいと思う。


なぜかこの音を聞いたとき、ふと、交差点を思い出した。

ほとんど車は通らないのに、白線できっちり横断歩道が引かれ、ちゃんと信号まで整備された交差点。
道路も整備されて、土砂崩れを防ぐための土手もしっかり築かれている。
目がぎょろっとした男の子と女の子の人形が手を上げている。
その横に安全と書かれた黄色い小旗が2本ぐらい入っている。

だけど、一度もそれを使って横断している人を見たことはない。

整備されているのに、使う人も、それに関心を払う人もいない。
車さえ、ほとんど通らない。
静かな静かな道路。

青い青い空と濃い緑の深い森が静けさをさらに増す。

そこに立っていると、寂しいでもない、悲しいでもない。
ただ、わびしさを感じる。


そういうわびしさを感じさせるものは、上海にはない。

わびしさというものは、当たり前に見えるものが、空気とか、時間の流れとか、周りとの関係とか、
そういう目に見えないものによって緊迫感をたたえられたとき、発生するものなのかな、と思う。

上海で見るものは、一見わびしそうにみえて、やはり好奇心のほうが勝る。
何でこれはこうなんだろうと、おもってしまう。

外国人の自分にとって、上海にあるすべてのものは「当たり前に存在するもの」ではない。
だから、空気とか、そういう潜在的にあるものよりも、まず、そのもの自身に関心が向いて、
それで終わってしまう。

それはそれで楽しいけれど、あまり自分の中に残らない。
よそものとして、簡単に消費して、自分の中に内在されるものにはならない。


だけど、それは中国にくるまで知らなかった。
「当たり前」ではない世界が存在することを。
日本にいたとき、そういうつまらない横断歩道は、そのままつまらなかった。

中国に来て、記憶の中に組み込まれた横断歩道にわびしさを感じる。
「ミ」と「ソ」のハーモニーにわびしさをかんじたように。

ステーキの結果

一年ぶりぐらいにステーキを食べていたときのことです。

それはもう冷めていたけれど、口にしたらとけていくような柔らかさ、

噛めば噛むほど肉汁のうまみが口中にあふれる、

何年ぶりにこんなふまいものを食ったんだというぐらい、

無心にガツガツ食べていました。




ふと、口の中に硬いものを感じました。

骨かな?と思ってぺっと吐き出すと、

小さな白い破片で下が少し黒くなっていました。

ん?歯が何かおかしい。




あわてて鏡を手に取ると、奥歯に黒くぽっかりと大きな穴が。

その白い破片は、奥歯の欠けたものだったようです。

自分に虫歯ができているなんて、まさか、思いも寄らないことでした。

虫歯があると疑うほど、歯が痛かったことなんて、中国に来てから一度もなかったはずなのに。




病巣というものは中からじわじわ蝕んで一気に本体をぼろっと崩す、恐ろしい存在なのだと、

小さく欠けた歯の破片を見て思いました。




そして1つの銀歯が2万円ちかくする。保険持ってないから仕方ない。

政変

会社で政変があった。

10年近く会社のトップに君臨していた2人が、新しくできる子会社に異動になった。

1人はグループ会社の取締役にも名前を連ねていた。

でも、新しい子会社では、何をやるのかまだ何も決まっていない。

実質上、更迭と見られる。



今、遠藤周作『反逆』を読んでいる。

織田信長に仕える家臣たちの反逆の心理を追ったものだ。

ちょうど、織田信長の父親の代から仕えてきて、比叡山本願寺一揆などと戦ってきた織田家の老臣・佐久間信盛が、明智光秀羽柴秀吉たちの活躍に比べてあまりにも無為無策なことをなじられ、追放されたくだりを読んだ。

佐久間信盛は、50年間織田家に仕えてきた老臣だが、よくみると、やってきたことは謀反や一揆の処理ばかりで領土拡大にかかわる仕事をほとんどやっていない。その処理もけっこう手間隙がかかっている。

でも、裏切り者の多い家臣の中で、厳しい信長の下で彼をしっかり支えてきたことは確かである。



ふと、会社の政変と重なった。



更迭された2人は、今の会社を立ち上げて、それなりの形を作ってきた人たちだけれど、発展した今、どう会社を持っていくかということに関しては無為無策だった。

でも人の流動の激しい上海において10年間この会社を支えてきたことは確かだ。



上海で働いていると、ひしひしと実利主義的なものの考え方を感じる。

年齢とか、経験とか、性別に関係なく、その会社にとって有用な人間が評価される。
自分のような未経験・新卒で入社した人間にとっては、仕事のやりがいが大きい。

かといって、日本で経験した人が能力を発揮できるかといったらそうでもない。

日本で働いたことのある人は、自分の経験値で物事の是非を判断する。

だけど、ここでは今その場で必要としていることが求められるのであって、
それは日本社会の経験に裏づけされたものとは限らないことが多い。

その人がどんな鎧をかぶっていようが関係なく、今必要な結果を、利益を、お金を求められる。

だから、“会社にとって”有用な人間は重宝され、そうでない、もしくはそうでなくなった人間に対しては冷酷だ。

そしてその基準が、とても刹那的だ。

過去の経験とか、忠節とかよりも、今お前は何ができるのか、ということに重点が置かれているようだ。

今だめだったら捨てる。今必要な人間を獲得する。

その自転車操業的な、刹那的な、機械的な実利主義が上海の急速な発展を支えているような気がする。

そこに人間的な温かみとか、仲間意識とか、人材育成とか、たとえばものづくりに対するこだわりとか、そういう実利的でないものは排除されている。

日本では仕事と生活が半ば運命共同体のように一体化しているから、今格差社会が進行しているとか、成果主義を導入する会社が多くなったとか言われるけれども、それでも、ここまでではないと思う。

徹底的な実利主義なら、短期的にはお金を稼げるかもしれない。

でも、それを長期的にどう社会に根付かせていくのだろうか。

ずっと人も物も使い捨てなのだろうか。



会社の方向性が見えないように、仕事のやりがいは感じているとはいえ、やはり日本人なので、急速に発展する上海の未来についても初めて大きな不安を感じた。

日本のワーキングプア、上海の富裕層

月給、10万円弱。

家賃、3万円強。

年金や税金は支払い義務がないので、私の可処分所得は6万円強。

日本にいたら、たぶんワーキングプア

働けども働けどもお金はたまらない。生きるだけで精一杯。

ところが、中国にいると、このレベルで富裕層だ。

上海だと、中の上ぐらいだろうか。まちがいなくホワイトカラーで、貧民から羨望のまなざしで見られる存在だ。



上海にいると、日本で言われる「格差社会」がどういうものなのか、ピンとこない。

上海のすごい所得格差を知っているので、さほど格差があろうと、その悲惨さが見えてこないからだ。

上海では、地面にはいつくばってお金をせがむ身体障害者のそばをベンツが走る。

一日に何十万円も食事に費やす人がいれば、一日に何百円かの収入のために働いている人がいる。

そんな上海で物価が上昇している。



今日、IKEAという家具屋さんに行った。

自分もすごい買ったけど、たくさんの人がものすごい勢いで物を買っていた。

荷物運び屋に声をかけられて、家具の組み立てもしてくれるというので、話に乗った。

荷物を運んで、本棚と机とタンスを組み立て終わったあと、200元(3000円ぐらい)要求された。

びっくりした。ただ荷物運んだだけじゃんか。ただ組み立てただけじゃんか。

なんで200元になるのさ。

上海に慣れすぎて価格交渉をしなかった自分もバカだったけど、

たしか以前も荷物運び屋に運んで組み立ててもらってそんなに高くなかった気がしたので、

前は70元ぐらいでやってくれた、と言ったら、

いつのことだ、と聞くので、

1年半前ぐらいかな、と言うと、

そんな大昔のこと、今は食費も光熱費も人件費も上がって、昔とは比べられねーんだよ。

と、逆にびっくりされた。

1年半前ってそんなに大昔か?

上海の歴史はそんなに流れが速いのか??

なんか怒る気も失せて、200元払った。

物価上昇の現実、恐るべし上海。


ただでさえ所得格差が激しいのにそれに加えてこの物価上昇。

私も日本じゃ貧乏だけど、上海じゃ富裕層だとうかうかしていられないのかもしれない。

この国の変化は激しすぎる。

日向の匂い

北風と太陽の話をご存知だろうか?

北風と太陽が、どちらが旅人の服をはがせられるか、競争する話。
北風がいくら強く吹いても、旅人は服をしっかり握って固く締める。
代わりに太陽がじっとぽかぽか旅人を照らすと、かれは暑くて服を脱ぎ始める。


私は、この話がすごく好きだ。

現象としては、寒いから脱がずに暑いから脱いだんだけれども、
北風は強くて冷たくて、強制的で強引だ。北風に対抗しようとしたら、
こっちも頑なになる。意地になって心を閉ざす。

でも太陽はじっと待ってくれる。明るく朗らかにすべてを包み込んでくれる。
失敗も間違いも全部。ただ、じっと待ってくれる。その人が心を開くのを。


日本にいたとき、仕事で日本人の下で働いたとき、いつも北風にさらされてきた。
がんばらなくちゃいけない。ついていかないといけない。何か、息苦しい。

中国で、太陽にあった。今の中国人の上司。
仕事を始めたばかりで何もできない自分を、何も言わず、見守ってくれた。
仕事にばかり集中して心を開こうとしない自分の心に光を照らしてくれた。
今でも、中国文化になじもうとしない自分を照らしてくれる。

義務も強制もここにはない。
すこし日向の匂いがする、優しい空間。


もうすぐ、上海歴4年目を迎える。
上海万博まですごい勢いで発展して「激動」そのものだろうけれど、
私はなぜか、ここで日向の匂いを感じる。


そして、それをもうすこし感じたい。